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Daisuke Bundo

Daisuke Bundo

分藤大翼
アフリカの熱帯雨林でBaka族の調査研究と記録映画の制作をおこなっています。
長野県松本市在住。

 

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「フォークのさじ」 沖縄県那覇市

『うたう食堂』
沖縄県那覇市〈首里〉駅

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なんだか帰りたくなってきた。モノレールの車窓から見下ろす街には、ところどころ勢いよく草木が生い茂っていた。強い日射しを受けて輝く緑には、日本の他の地域では見られない鮮やかさがあった。沖縄の亜熱帯性の気候が生み出す光景を眺めながら、僕は長年通い続けているアフリカの熱帯林のことを思い出していた。妙なことに、初めて訪れた沖縄を前に、僕はアフリカへの郷愁に駆られていた。


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車内には日本語、英語のアナウンスに続いて、沖縄民謡をアレンジしたチャイムが流れ、多くの人が乗り降りを繰り返していた。沖縄を訪れる人の数は年々増加しており、2007年には586万人を超え過去最多を記録した。また2003年の開通以来、モノレールの利用者も増加しており、沿線では再開発事業が進行している。

『芭蕉布(ばしょうふ)』という曲がかかり、終着駅のひとつ手前の駅で降りた。儀保(ぎぼ)という駅は、次の首里(しゅり)とともに首里城公園の最寄り駅となっている。首里城は1879年まで、450年にわたって存続した琉球王国の中心地であり、1992年に復元されて以来、沖縄の代表的な観光地となっている。儀保駅で降りたのは、王国時代に首里城の門から各地へ向かって整備された「宿道(しゅくみち)」を歩いてみるためだった。


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儀保駅の周辺からは、宿道だったルートをたどることができる。なかでも首里城の守礼門から伸びる宿道には、真珠道(まだまみち)とも呼ばれる16世紀の道が一部残されており、琉球石灰岩が敷き詰められた石畳の道は、なかなか歩きごたえがあり、道の両側の石垣はとても見ごたえがあった。これらのルートは、NPO首里観光協会のホームページで知った。このNPOはモノレールの開通をきっかけに、儀保駅を起点として、首里のスージグヮー(小路)に着目しながら、古都の歴史や文化を明らかにし、その魅力を広く紹介する活動をしているという。
 

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のんびりと歩き回り、お昼過ぎに食堂に行くため首里駅に向かった。駅から首里城を背にして道沿いに少し歩くと、『あやぐ食堂』と書かれた看板が見えた。店の前にはブーゲンビリアやハイビスカスの鉢植えが並び、赤やピンク色の花々が通りに面した壁を飾っていた。緑色の庇(ひさし)をくぐって店に入ると、正面に調理場とカウンターが、左手にテーブル席と奥には座敷が広がっていた。壁にはメニューがずらりと貼られている。定食、丼もの、そば、一品物など80種類は下らない。

カウンター席に座ってメニューを見ると、豚のあれこれを食べる沖縄らしいメニューが並んでいる。てびち(足)、ソーキ(あばら肉)、中味(臓物)、まずは言葉の響きに感心してしまう。「ふーちゃんぷるー」(麩の野菜いため)などは、その愛らしい語感にひかれて、つい注文したくなってしまう。食べたいものを食べるか、取材にふさわしいものを食べるか迷ったあげく、真ん中をとって「ゴーヤーちゃんぷるー定食」を注文することにした。


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店内はほぼ満席。待っている人、食べている人、一息ついている人。過ごし方や食べるものはバラバラでも、老若男女が違和感なくおさまっている。まもなく僕の前にもお盆が差し出された。手前には大きめの茶碗に盛られた白米、黄色い沢庵と味噌汁。そして、奥にはゴーヤーちゃんぷるーと、その隣の皿にはマグロの刺身が載っていた。


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まずはゴーヤーを食べてみる。ニガウリともいわれるだけあってグッとくる苦みが口の中にひろがった。一口目は普段食べているゴーヤーよりも苦いと感じたものの、後味はすっきりとしていて、食べ進むほどに爽やかになった。玉ねぎやニンジンの甘味やハムや豆腐の旨味もしっかりと混ざっていて、複雑な味を楽しみながら一気に食べてしまった。『あやぐ食堂』は量が多いと聞いていたが、そのことはすっかり忘れていた。他のお客さんを見ても、もりもりと食べていて残す様子はない。僕もマグロの最後の一切れを口に運び、贅沢なおまけを楽しんだところでお腹いっぱいになった。これで570円は安い。

一息つきながら厨房に目をやると、さっきよりも慌ただしくなっているように感じられた。「“カツ”ふたーつねー、ソバ定ねー、野菜定、コンビーフのおかずねー」などと次々と注文が通る。鍋とコンロがぶつかる音、洗い物の音、勘定のやりとりや「アリガトネー」という声。それらの音を背景に、熱々の料理が続々と作り出されていく様は壮観だった。そして、店員さんの所作も、とても凛々(りり)しかった。頭に布を巻き、胸に『あやぐ』と刺繍の入ったエプロンを着けてきびきびと働いている。きりっとした顔が、お客さんに向けて時折ふわっとやわらかくなる。全員が女性。あきらかに「昨日、今日始めたわけではない」貫禄がある。女将さんらしき人を探したが、みんな女将さんのように見えて、まったく見当がつかなかった。


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お客の少ない時に話しを聞こうと夕刻前に出直した。ところが、昼よりは少ないものの、店にはたくさんのお客さんがいた。取材をお願いすると少しの合間をぬって厨房から女将さんが出てきてくれた。

女将さんが『あやぐ食堂』を始めたのは30年ほど前のこと。当初は学生など若い人に、安い値段でお腹いっぱい食べてもらえればという思いで始めたという。その後、いろんな人が来るようになり、3年目に店を拡げ、スタッフも増やして、お客さんの要望に応じてメニューを増やしていった。


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スタッフは当時からほとんど代わらず、女将さんは「めぐり合いで、ありがたいことに、みんなが頑張っているからやっていられるんですよ」と話してくれた。料理も変わらず、「あやぐそば」や「かつ丼」など自家製のたれやソースを使ったメニューは、『あやぐ食堂』ならではの味として長年親しまれているという。

女将さんは幼いころから「自分はみんなに何をやってあげられるんでしょう」と考えていたという。お店を続けているのも「世の中では悪いことが起きているけど、ご飯食べたら良いことを思いつくっていうから。みんなが良いことを思いつくように、安いメニューでどうにか出してみよう」という思いがあるからだ。

お店の名前になっている「あやぐ」という言葉には、女将さんの出身地でもある沖縄・宮古の言葉で「唄、歌謡」という意味がある。「歌には心がこもっているものだから」と女将さんは「あやぐ」という言葉を店の名前にした理由を話してくれた。


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翌日、女将さんの写真を撮らせてもらいに行くと、昼前から食堂は混雑していた。厨房を覗くと、女将さんは細い腕で大きな鍋をさばいていた。片時も休まず、一心に料理を続ける女将さんの姿を見ていると、店員の方が「中に入って撮ってもいいよ」と声をかけてくれた。女将さんも手を止めて、こちらを向いてくれたものの、撮った写真はせっかくの笑顔がぶれてしまっていた。気後れしていた。すぐに調理に戻った女将さんを前に、「もう帰らなくては」と思い、僕は頭を下げて店を出た。
(『翼の王国』2008年3月号124-127頁に掲載)



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