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Daisuke Bundo

Daisuke Bundo

分藤大翼
アフリカの熱帯雨林でBaka族の調査研究と記録映画の制作をおこなっています。
長野県松本市在住。

 

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「フォークのさじ」 栃木県日光市

『あつあつの胸板』
栃木県日光市

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同じものが食べてみたくなった。僕が腰掛けた席には、さっきまでプロスポーツの選手が座っていたという。『和豚・もちぶた・豚トロ石焼きビビンバ』。その人が食べていたというので、ひとつ注文してみることにした。店内を見回すと、一番広い壁には額に入った色紙が何枚も飾られている。なかでも目を引くのがアイスホッケーのプロチーム『日光アイスバックス』のサイン色紙である。その他にも有名選手が使っていたスティックや応援用のメガホン、募金箱まで置かれている。このお店がそうとう“入れあげている”ことが分かる。

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ジューッという音とともに石鍋が運ばれてきた。ご飯の上には片方にナムル、もう片方には刻んだ春キャベツの上にタレのついた焼肉、その上に胡麻とガーリックチップ。そして真ん中にはプルンとした卵の黄身とニラがのっている。コチジャンを加えながら混ぜ始めると、間違いなく美味しいという直感がはたらく。一匙ごとに直感の正しさを噛みしめていると厨房からマスターが出てきてくれた。がっしりした体にワインレッドのエプロン、白の仕事着の胸元には緑、白、赤のラインが走っている。いでたちは完全にイタリアンのシェフである。韓国料理を食べながら話を聞くうちに、この奇妙な情況も次第に飲み込むことができた。

マスターは高校卒業後、東京の調理学校に一年間通い、その後『青山リトルイタリー』というイタリア料理店で修行した。1990年前後といえばイタメシ(イタリア料理)ブームのまっただなか。始めの一年は始発で出勤し終電で下宿に帰る日々が続いた。給料はやっと生活ができる程度。調理の技から人との接し方まで徹底的に叩き込まれたという。結局、10人いた新入社員のうち一年間頑張り通せたのはマスターだけだった。

4年の間に一通りのことを習得し、次に広東料理の高級店に配膳係として勤務した。料理の仕方は厨房を覗いたり、親しいシェフに聞いたりして学んだ。その後、ホテルの鉄板焼きの店でも経験を積む。ところが折しもの不況で解雇されてしまう。マスターの器量を知る一流ホテルのスタッフから誘いがかかるものの、マスターはそこで日光に帰る決心をする。誘いを受ければ10年は勤める必要があると考えたからだ。当時マスターは26歳。東京に出してくれた両親との間に、30歳までに地元に帰るという約束があった。

地元では両親が食堂を営んでいた。8年ぶりに帰郷したマスターは、当地の飲食業を知るために居酒屋やカラオケ屋でも働いた。その後、両親の食堂を手伝い始め、和食・中華料理をこなしながら少しずつメニューを増やしていった。3年ほど経ったころ、日光街道に面した今の建物に移ることにした。駅から少し離れていたが仕方がなかった。


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丹念に手入れをして2001年に開店。お店の名前は『すずき食堂』から『食堂すずき』に変更した。名前の由来は、言うまでもなく鈴木さん一家が切り盛りする食堂ということだ。今日まで改良を重ねているメニューには、得意の生パスタにピッツァ、自家製デザートが加わり、スポーツ選手お気に入りの定食物もたっぷりと盛り込まれている。さらに日光名物の「湯波」や「しそ巻き唐辛子」を使ったオリジナルメニューも充実している。

マスターには地元にかける思いがあった。その背景には「世界の日光」だと思っていた故郷が、東京の人にはほとんど認知されていなかったということ。そして日光を旅した仲間の料理人から「食べるところがない」と言われたことがあった。日光で「値段に見合った美味しい料理を提供する」という思いは、いつも心にあるという。

そのため、素材の仕入れに対するこだわりは尋常ではない。ここだと思った仕入れ先には、いつも同じ服を着て通う。覚えてもらって交渉しやすくするためだ。米も肉も野菜も、なるべく地元の良いものを使う。僕がいただいたビビンバも主な素材は全て栃木産だという。素材を吟味するため、仕入れ次第でメニューもかわる。もちろん手は抜かないので調理には時間がかかる。そのため混雑時には配膳が遅くなるのが悩みだという。けれども、そのようなことは決して多くはないらしい。


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1999年に『二社一寺(日光東照宮、日光山輪王寺、日光二荒山神社)』が世界遺産に登録された日光は、外からは商売上とても良いところのように見える。しかし実際は、行事や行楽シーズンを除くと、お客の少ない商売の難しい地域なのだという。季節はずれの日暮れ時ともなれば、人影もまばらで「寂しいところ」と言われることもあるという。

また人が押し寄せるシーズンはシーズンで、車で観光地を目指す人々には、道中の店は“道草”のように思われてしまう。さらに、交通の便が良くなることも日帰りする人を増やすことになり、道中の店はますます振るわなくなる。市町村合併によって日光市が大きくなったことも、日光観光の分散化につながる懸念があるという。日本屈指の観光地も曲がり角を迎えているのかもしれない。

『食堂すずき』が観光客の少ない冬を乗り切れるのは、日光にはウィンタースポーツがあるからだという。なかでも『日光アイスバックス』の存在は大きい。1925年に創設された名門チームは1999年に企業の手を離れ、市民の手によって生まれ変わった。チームとファンが一丸となった姿はメディアでも大きく取り上げられ、アイスホッケーの魅力と共に広く知られるようになった。


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「はじめは興味がなかった」というマスターも徐々に応援に熱がこもるようになっていった。ただし、きっかけはベンチプレス。ベンチに仰向けになり両腕でバーベルを持ち上げるというトレーニングだった。当時通っていたスポーツジムで選手たちと知り合い、自分たちよりも腕力のある料理人の店に選手たちが来るようになった。

親しくなり選手たちの頑張りを知るにつけ、ご飯を大盛りにしてあげたり、スープのかわりにラーメンを出してあげたり、食堂として精一杯のサポートをするようになった。近頃では、選手の紹介でお客さんが来てくれることもあるという。マスターは修業時代まで振り返って「なんとかやってこれたのは、ほんとに人とのつながりですね」と語った。


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今マスターが一番大切にしていることは、「鈴木さんがやるんであれば大丈夫だろうという安心感を持ってもらう」ことだという。日光で新しく始まろうとしていることは、古くて新しい支え合いによって発展してゆく。そんな印象を抱きながら、僕は店を出て日光街道をゆっくりとのぼった。

(『翼の王国』2007年7月号114-117頁に掲載)


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