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Daisuke Bundo

Daisuke Bundo

分藤大翼
アフリカの熱帯雨林でBaka族の調査研究と記録映画の制作をおこなっています。
長野県松本市在住。

 

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「フォークのさじ」 富山県魚津市

『まっすぐな下駄の音』
富山県魚津市〈魚津〉駅

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カランコン、カランコン。「これは今日あがったものなんですよ」。運ばれてきた甘エビはとても瑞々しく頭の先から尻尾まで朱色に輝いていた。御主人は一匹ずつ丁寧に揃えながら「身が全然違うんですよ、日本海で獲れるものは」と話してくれた。そして、白エビ。富山湾の特産で、生きている時は無色透明、その美しさから宝石にも喩えられるエビである。天麩羅になる前に見てみたいという願いを御主人は快くかなえてくれた。

ほどなくしてエビたちは、車エビとともに『海老づくし天丼』となって現れた。サクサクと食べ始めると、白エビのふんわりとした食感や風味、甘エビの濃厚なミソの味、香ばしい甲殻や身の旨味などが次々と口の中にひろがった。衣が薄くあっさりしているため、それぞれのエビの味をしっかりと味わうことができた。しかも、ほどよい甘みのたれとからんで、どのエビもご飯との相性がとてもよかった。

すっかり空になったどんぶりを前に、添えられた浅漬けをかじりながら思わず唸ってしまった。「技術がないと、そういう揚げ方は無理なんです」。御主人の言葉に心から納得した。


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割烹『宇な義(うなよし)』は魚津駅東口の正面に立っている。御主人がこのお店を始めたのは40年前。当時、駅周辺は開発が始まったばかりで、まだ駅前は砂利道だった。雪の深い日には、お客さんに来てもらうために駅まで通り道をつくったこともあったという。「学生や通勤の人が私のつくった道を歩くんですよ。素通りして」。実際に地元の人を相手に割烹を営むのは難しいという。都会と違って食材が手に入るだけに店で食べようと思う人は少ない。料理人が仕入れて調理したものは、一切れの刺身でも味が違うということがなかなか分かってもらえない。

今日までお店を支えているのは、ほとんどが県外のお客さんだという。そして、そのために景気の影響をもろに受けてきたという。日本が「いざなぎ景気」に湧いた1960年代の後半から社用で来るお客さんをこつこつと増やし、ようやく商売になり始めた頃にバブル経済が崩壊。多くの顧客を失って1990年代からは立て直しのきかないギリギリの経営が続いている。

そしてさらに追い打ちをかけているのが、外食産業の台頭と外食文化の変容である。事業として売り上げを伸ばすためには食材と料理の質を落とすほかなく、そのような店にお客が流れれば、良い生産者と料理人はやっていけなくなる。また一昔前は、外食といえば家庭ではできないような料理を食べるためのものだったが、今では家庭料理の代用として食事を安易に済ませるためのものになっている。安ければよいということになれば、上質のものを相応の値段で提供する店は姿を消すほかない。

「有意義にお金を使って料理を楽しむということがなくなった。我々の親の方がよっぽど“通”やったんです」と御主人は話す。


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御主人が板前の世界に入ったのは16歳の時。故郷の魚津を出て大阪・宗右衛門町にある老舗料亭に弟子入りした。早朝から深夜までの立ち仕事。板場は寒く、下駄を履いた素足はあかぎれになったという。厳しい修行の甲斐あって20歳になるころには、いくつものコンクールで優勝するほどの腕前になっていた。そして富山へ。

最初に始めた活け作りのお店が大当たりする。しかし、勢いにのって始めた別のお店でつまずいてしまう。「ちょっと気の利いた料理屋を始めた。きしっとした料理をつくって、活け作りのお店の半分にもならない値段で料理を出したんですよ・・・。全く駄目だった。でも引くに引けなかった。火だるまになるのはあっという間。もう裸になりましたね、全部」。

大阪に戻ろうと思った矢先、父親に魚津で店をやるように勧められた。はじめ御主人は断ったという。まっとうな板前としてやっていくことは都会ですら難しかったからだ。しかし、最後には魚津に残る決心をする。「結局、親の涙に負けたんだね。お袋だね。もう一回ここで頑張ってみて、それでダメなら大阪に行ってもいいんじゃないのといって泣かれてね。それでまあ、ここに来たのが運の尽きだったね」。最後の言葉はちょっと複雑な笑い声になって店内に響いた。


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修行した大阪のお店に暖簾分けをしてもらい、本物の鰻料理を味わってもらおうと22歳の時に今のお店を開いた。それから40年。揚げ物が好きな人のために天麩羅ものを、お刺身を食べてもらうために海鮮ものを献立に加えて今日に至っている。「自分のお店に来ることを楽しみにしているお客さんがいる。それだけで頑張れる。ただそれだけなんです。商売としては成り立たない」。

御主人は近年になって料理教室を始めている。魚津は海の幸も山の幸も豊富な土地だということ、ちょっとした工夫で美味しい料理ができるということを地元の人に分かってもらいたいのだという。自炊を勧めることは、いっけん料理人として矛盾しているようにも思える。しかし、お金でゆがんでしまった食文化を正すためには、食材と料理を手元から見つめ直さなければならない。板前として生きてきた御主人には、本当に食い違っていることが何なのか、いやというほど分かるのだろう。


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魚津の南東部は雄大な立山連峰に連なっており、そこに降りそそぐ雨や雪がいくつもの河川や地下水となって町を通り富山湾に流れ込んでいる。そして、富山湾は岸からわずか20キロほどで水深が1000メートルに達する全国でも3番目に深い独特の地形をしている。また、表層の温暖な対馬暖流水と、300メートルより深い寒冷な日本海固有水が層をなしており多様な魚介類を育んでいる。

その深層水にすむ魚として近年脚光を浴びているのが「ゲンゲ」である。「下魚」という字があてられるほど、富山では庶民の味として古くから親しまれてきた魚だ。しかし、白い鰻のような外見とゼラチン質でおおわれたヌルヌルの体、鮮度落ちが早く調理に技術がいることなどから最近は敬遠される傾向にあったという。出荷量が減ったことと近年のグルメブームがあいまって、今日では「幻魚」という字があてられることもある。


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お店の献立札にある「ゲンゲ揚げ」を注文すると、すらりとした白身の揚げ物が運ばれてきた。頭とゼラチン質が落とされ、軽くはたいた薄い衣からは職人の技が感じられた。熱々のゲンゲはほろほろとした食感で淡泊な旨味があり、いかにもお酒に合いそうな乙な味をしていた。

「子供のころにお袋が、このとろとろのやつをお澄ましにして出してくれた」。御主人は昔食べたゲンゲの味について懐かしげに話してくれた。とても良いだしが出るという。

長居をお詫びして席を立つと、御主人は下駄を鳴らして駆けより見送ってくれた。魚津は「蜃気楼」をはじめとして見所の多いの町として知られている。でも次に訪れる時、僕は『宇な義』のからし色のぱりっとした暖簾にまっすぐ向かうに違いない。
(『翼の王国』2007年6月号108-111頁に掲載)


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【後記】
記事の再掲を了承してくださった便りに、『宇な義』さんが移転されたとのお知らせがありました。現在は富山市でお店をされているそうです。より行きやすくなりましたので、遠からずうかがってみたいと思います。

宇な義
〒930-0832
富山県富山市中冨居23-18
TEL(076)452-2123
FAX(076)452-2120



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