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Daisuke Bundo

Daisuke Bundo

分藤大翼
アフリカの熱帯雨林でBaka族の調査研究と記録映画の制作をおこなっています。
長野県松本市在住。

 

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「フォークのさじ」 長崎県島原市

『そのままの湧き水』
長崎県島原市〈島鉄本社前〉駅

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ひらひらした桜色の紙の上に、ぽんぽんと文字が並んでいる。判で押された文字は、少しかすれたり、にじんだり、ゆがんだりしている。紙の真ん中には切り取り線。『銀座食堂』には戸口を入ってまっすぐ行ったところに“食券売場”がある。「うちはむかしのまんまです」という御主人は、手作りの棚から食券を取り出して手渡してくれた。


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広い座敷であぐらをかきながら待っていると直径20センチほどの土鍋が運ばれてきた。熱々の蓋をあけると、ぽってりとした丸餅が五つ、ダシ汁に漬かって並んでいた。餅の間には椎茸、卵焼き、春菊、下からは蒲鉾ものぞいている。さらに下を探ると、なにやらいろいろと入っていることが分かった。白菜、牛蒡、里芋、蓮根、竹輪、穴子、鶏肉、高野豆腐、刻み昆布。全部で14種類。これが島原名物の“具雑煮”である。焼き穴子や鶏肉の旨味をアクセントに、あれを食べ、これを食べ、最後には鍋を傾けて、カツオと昆布でとった上品なダシをちりれんげで掬いあげた。確かに具だくさんではあるものの、どれも素朴な味わいで、食べ進むほどにふんわりと穏やかな気持ちになった。


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“具雑煮”は由緒のある郷土料理で、寛永14年(1637年)に起こった島原の乱において、天草四郎ひきいる一揆軍が籠城した際に食べたのが始まりといわれている。また、文化10年(1813年)に現在の『姫松屋』という料理屋が、味を工夫して“具雑煮”として客に供するようになったという。そして、今日では一年を通じて来客があった時などに食べる雑煮として島原の人々に広く親しまれている。

『銀座食堂』を始めた先代の女将さんは他のお店の手伝いを経て自分の店を開いた。夫は島原鉄道の職員。女将さんは8人の子供を抱える母親でもあった。話を聞かせてくれた伊達修治さんは8人兄弟の末っ子で、30年ほど前からお店を手伝っているという。20年ほど前に女将さんが亡くなった後、奥さんと、兄1人、姉2人とともに食堂を守っている。


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『銀座食堂』は、戦後まもない1945年に現在の場所に開店した。周囲には復興期らしく多くの店が建ち並び、島原中から集まって来る買い物客でとても賑わっていたという。『銀座食堂』という店の名前には、華やかだった当時の様子が映し出されている。近所には映画館が5、6軒もあり、多くの客が映画の行き帰りに食堂に立ち寄った。また、お客さんに楽しんでもらおうと食堂内にパチンコ台を置いていた時期もあった。自家製のアイスキャンデーが人気で、パイナップルやレモン、小豆などの味のものがよく売れたという。大手メーカーの商品がなかった時代、店はどこも自分の店で氷菓子を作り、それぞれの店の味で売っていた。

その後、島原の中心地も時代とともに変化する。1973年には商店街にアーケードが敷設され『一番街アーケード』となる。『銀座食堂』も建て替えを行い、店の広さを半分ほどにして新たなスタートを切った。当時はまだ、地元の人を中心に多くの人が食べに来ていたという。しかし近年になって、全国の商店街と同様の事態が進行する。“郊外化”(大型店舗の郊外出店などによって、人々の生活の場が中心市街地から郊外に移る現象)によって、この15年ほどの間にシャッターを降ろす店が増えた。1990年から5年7ヶ月にわたって続いた雲仙・普賢岳の噴火災害も影響している。降り積もる灰と飛来する噴石の対処に追われた時期もあり、一番ひどかった時は「もうこれはひょっとしたら全滅かな」と思うほどだったという。


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噴火終息宣言から11年目を迎えた島原市は“火山とともに生きる”という言葉を掲げている。この言葉の背景には、自然の脅威と恩恵をうけてきた島原の長い歴史がある。島原が『水の都』といわれ『名水百選』に選ばれるほど湧き水に恵まれているのは、寛政4年(1792年)に起きた普賢岳の噴火と島原の群発地震にともなう地殻変動が原因だと考えられている。この「島原大変肥後迷惑」と呼ばれる出来事は、1万5000人の犠牲者を出した日本史上最大の火山災害だった。火と水。雲仙山系は雨を涵養し、その水は地下水となって山を下り、有明海に注いでいる。そして、その地下水が約60ヶ所ある市街地の湧水場から毎日22万トンも湧き出しており、市民の生活用水や街づくりに利用されているのである。


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『銀座食堂』にも店の奥、裏手の方に井戸がある。水質のよい湧き水は厨房にも引かれて調理に使われている。この豊富な湧き水を使った名物デザートが“かんざらし”である。“かんざらし”は琥珀色の冷たい蜜のなかに小さく丸めた白玉団子がたくさん入ったお菓子で、ゆでた白玉を流水にさらす必要があるため、水の豊かな島原ならではのデザートになっている。昔は砂糖水に白玉を入れただけのものだったが、今ではお店によって、それぞれに工夫を凝らした味が楽しめる。『銀座食堂』のかんざらしは、しっかりと甘い。それでも自家製の蜜には嫌味がなく、白玉のなめらかな口当たりや歯ごたえを楽しんでいると、団子はいつの間にかなくなってしまい、少し寂しい思いで蜜をかき混ぜることになる。


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夏場に登場する “白熊金時”というかき氷にのせる小豆や寒天やアイスクリームも、みんな手作り。「手間暇かかってきつかですけどね」という御主人に、手作りにこだわる理由を聞いてみると、「やっぱり味が・・・やっぱり全然違うでしょ」とのことだった。そして、それは新しいことではなく「要するに昔のまんま」なのだという。

「あんまり手を広げてもしきらんけん、今あるメニューだけで、ぼちぼちしよるだけです」。とは言うものの、おしながきには食堂らしいメニューが並んでいる。地元の食材を使って手間隙かけて作られる料理はどれも美味しいに違いない。なかでも人気なのは、やはり“ちゃんぽん”だという。

見渡すと食堂の内装にも味がある。通路と座敷の間に掛けられた大きな染物の暖簾、壁には“具雑煮” “白熊金時”と書かれた大きな書が掛けられている。また、長崎在住の版画家、小崎侃(こざきかん)さんの作品も飾られている。店内の雰囲気は、ちょっと横になってくつろいでもいいのではないかと思えるほど家庭的である。


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昔は地元の人だけが食べに来た食堂も、この20年ほどの間に、よそからのお客さんが増え、今では半々くらいになっているという。「まあ、商売は難しかです。その時の流れがありますから。うちはもう、このスタイルで、ぼちぼちやっていければそれで。お客さんに喜んでいただければ、それでよかです」と御主人は語った。

すっかり御馳走になって、ぼんやりと過ごしていると、厨房からは下ごしらえをする包丁の音が響いてきた。その音を聞きながら、座布団から腰を上げ、歴史のある城下町と湧き水の流れをめぐるために、僕は『銀座食堂』を後にした。
(『翼の王国』2007年8月号116-119頁に掲載)



【後記】
記事の再掲を了承してくださった便りに、この記事が『翼の王国』に掲載されたのをきっかけに、『銀座食堂』が『まぼろしの邪馬台国』という映画のロケ地になったことが記されていました。お店の方々も喜んでくださっているようで、なによりのニュースでした。作品のホームページの「九州ロケマップ」という項目のなかに、確かに『銀座食堂』さんが載っています。



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