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Daisuke Bundo

Daisuke Bundo

分藤大翼
アフリカの熱帯雨林でBaka族の調査研究と記録映画の制作をおこなっています。
長野県松本市在住。

 

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「フォークのさじ」 北海道白老郡

『うるわしい音色』
北海道白老郡白老町〈萩野〉駅

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 すっと手が消える。ゆっくりと腕を沈めると、白い手のひらが褐色の湯の中に見えなくなる。黒々とゆらめく温泉は、見た目ほどクセはなく、するりと肌にそって体を暖めてくれる。それでも、底の見えない湯船からは何か出てきそうな気がして、初めはどうも落ち着かなかった。なじむにつれて、その夜に聞くことのできたアイヌ音楽の音色や歌声が甦った。そして、静かな祈りの儀式、薪から立ち上る煙の匂い。


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 白老(しらおい)という町にはアイヌ語で「ポロトコタン」(大きい湖・集落)という、アイヌの集落を再現した施設がある。そこでは、国の重要無形民俗文化財に指定されているアイヌ古式舞踊の公演が催されている。また博物館も併設しており、アイヌ文化の伝承・保存の中心地の一つとなっている。ポロトコタンは実際に美しい湖の畔にあり、その周囲には全国の「遊歩百選」に選ばれたポロトの森もある。それが白老を訪れてみたいと思った理由だった。温泉のことは気にしていなかったものの、長風呂を終えるころには、すっかり気に入ってしまった。

 『緑や食堂』が白老に開店することになったきっかけは、この温泉だったという。もともと北海道北部の士別市で農業を営んでいたご夫婦が、後継難をきっかけに転居を決め、当時「温泉付き住宅地」として宅地開発が進められていた白老町の萩野に移り住んだ。ご主人が温泉を気に入ったのが決め手だったという。また、白老の積雪は札幌とくらべても半分以下で、冬の過ごしやすさも魅力の一つとなっていた。


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 昭和51年4月、引っ越して間もなくの開店だった。まずは士別の食堂で修行した女将さんが一人で始めた。当初、店の周辺には宅地ばかりが広がっており人は少なく、「あんまり人が通らなかったんで、暖簾を出すのが恥ずかしかった」という。しかしほどなく、家の建築が次々と始まり、大工の人たちが店に食べに来るようになった。また、店の二階を寝泊まりできるようにしたことで仕事は徐々に忙しくなっていった。その後、お店を拡張して出前もとるようになり、ご主人が出前を担当し、数年のうちに娘さんも店を手伝うようになった。
 昭和50年代から60年代にかけては、高速道路の建設作業員や大学生を中心としたツーリング客もよく来ていたという。そして、大昭和製紙の従業員。昭和35年に操業を開始した大昭和製紙の白老工場は、豊かな自然資源を背景に業績を伸ばし、町の主要産業となっていた。人口一万人たらずだった町が二万人を超える町になったのも大昭和製紙の影響が強いといわれている。『緑や食堂』も出前や宴会などで頻繁に利用してもらったという。


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 大昭和製紙は「大昭和製紙北海道」というチーム名で社会人野球の強豪としても知られていた。昭和37年の創部以来、都市対抗野球大会や日本選手権に何度も出場し、昭和49年には都市対抗野球大会で優勝を果たしている。地元の人気も高く、代表に決まると横断幕を張ったり、後楽園や東京ドームまで応援に行ったりしたという。「あのころが一番花だったねー」と『緑や食堂』の娘さんは懐かしそうに話してくれた。その後、野球部は平成5年に休部となり、町民球団として再生するものの4年後には活動停止に追い込まれる。そして、大昭和製紙は平成15年に日本製紙と合併し、白老から大昭和の名前は消えた。
 ここ数年は『緑や食堂』もお客さんの数が減っているという。周囲の状況を聞けば、全国で起こっているようなことが、ここでも起こっているということが分かる。しかし、聞かなければ分からないほど、『緑や食堂』には少しも寂れたところがない。

 
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 オレンジ色と黄緑色のちょっと奇抜な外観。店に入るとカウンターからは磨き上げられたぴかぴかの調理場が見える。座敷の方に向かうと食事処らしい張り紙や飾りものがあり、それらがどれもきちんと配置されている。にぎやかでありながら雑然としていないお店は、どこにでもあるものではない。女将さんや娘さんの人柄があらわれているように思えた。そして、もう一人。
 娘さんの息子さん、つまり女将さんからすると孫にあたる加津也さんが2年ほど前から『緑や食堂』に加わった。札幌の専門学校で調理師の免許を取り、さらに飲食店で経験を積んだ上での帰郷だった。開店当時から変わらないメニューが書かれたプレートの横には、加津也さんが考案した新しいメニューが貼られており、『緑や食堂』に新たな色が加わっていることがうかがえた。

 麺類、丼物、定食とずらりと並んだ献立の中から、迷ったすえに「焼き魚定食」と「白老牛ラーメン」を注文することにした。魚は地元の漁師さんが干した「ほっけ」の開き。「白老牛」は白老町の特産品で、島根県から導入した黒毛和種を50年以上もかけて改良した全国に誇るブランド牛である。『緑や食堂』は地元の食材へのこだわりをもっていて、市場で仕入れる新鮮な魚介類はもちろん、特産品の椎茸や卵、ご飯を炊いたりラーメンのスープをとったりする水も地元の湧き水を使っているという。


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 しばらくすると、まずは「焼き魚定食」が出てきた。ほっけのあまりの大きさに驚いていると、「甘かったら醤油をかけて下さい」といわれてさらに驚いた。それほど甘い魚を食べた経験がなかったからだ。食べてみるとしっかりと脂がのっていてやわらかく、そして確かに甘かった。ただ甘味というよりは、まさしく旨味だったので醤油は試すことなくいただいてしまった。5品も付く日替わりの小鉢は、どれも女将さんの手作りで、しかも素材のいくつかは近所の方が持ってきてくれたものだという。「大根できたよ。じゃがいもできたよ」と持って来てくれるのだという。美味しくないわけがない。女将さんもいただいた物は余さず使い、作ったものを持っていってあげることもあるという。


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 「白老牛ラーメン」の方は、鶏や豚、野菜、煮干しでとったダシと醤油をあわせたあっさりスープと縮れ麺。白老牛はやわらかく、ほのかに付けられたニンニクの風味も合っている。ほどよく盛られた野菜炒めの香ばしい味もあいまって、とても食欲をそそる一品になっていた。
 ベルトを緩めつつ話を聞くと、最近では顔見知りのお客さんが来てくれる一方で、インターネットなどで情報を見て、よそからお客さんが来てくれることもあり、そのため、いつどんなお客さんが来ても満足してもらえるように心がけているという。実際に一度来たお客さんが二度三度来てくれることがよくあるという。 


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 次に来る時のことを思いながら店を出て、夕方になってから近くの竹浦神社に出かけた。入り口には自転車が並び、坂を登るとテントがいくつも建っていた。町内のお祭り。紅白の布で飾られた舞台では、『緑や食堂』の女将さんが着物姿で歌い、それに合わせて娘さんが舞った。つややかでとても美しい公演だった。思い思いに過ごす地元の人に交じって、夕闇に灯る電灯を眺めながら『緑や食堂』の味は、このような人との繋がりとも深く関わっているのだろうと思った。
(『翼の王国』2007年11月号112-115頁に掲載)


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