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Daisuke Bundo

Daisuke Bundo

分藤大翼
アフリカの熱帯雨林でBaka族の調査研究と記録映画の制作をおこなっています。
長野県松本市在住。

 

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「フォークのさじ」 兵庫県神戸市

『つややかな指先』
兵庫県神戸市〈新開地〉駅

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無数の鋼球がはじけ、ひしめきあう音。たたみかけるような電子音。轟音の隙間から漏れ聞こえる切なげな歌声。改札を抜け地上に出る際に通り過ぎるパチンコ店のあたりは、煙草の匂いのせいか空気が少し澱んでいるように感じられる。構内を抜けて本通りに出ると居並ぶ商店の中に立呑処がぽつぽつとある。そして、どことなく気楽な風体の人たちが歩いている。


少し先に「神戸アートビレッジセンター」という芸術活動を推進する施設があり、僕はそこに映画を見るために何度も通っていた。ただ、駅から数百メートルの道のりを往復するだけで、新開地(しんかいち)という町については「場末とはこういうものかな」というくらいにしか思っていなかった。なにも知らないまま、なんとなくよからぬイメージを抱いていた。しかし、改めて取材に訪れてみると、新開地は、かつて「東の浅草、西の新開地」と呼ばれるほどの繁栄を誇った神戸随一の町であり、今も様々な魅力に満ちていることがわかってきた。

1905年(明治38年)、神戸港にそそいでいた旧湊川(みなとがわ)の埋め立て地として「新しく開けた」新開地は、港に開設されていた川崎造船所で働く人々の通勤路となり、人の流れが商人や芸人を呼び込んで、次々と商店や劇場、映画館が立ち並び、近隣の福原遊郭とともに一大歓楽街に発展した。

大正2年に東京の帝国劇場を模して建てられた「聚楽館(しゅうらくかん)」をはじめ、大正から昭和にかけて、新開地は劇場24館、デパート6店、商店202軒を擁し、大正11年には年間に400万もの人々が訪れる町になっていた。また、海外の有名人も度々訪れており、昭和11年には、かのチャーリー・チャップリンも本通りを見物して歩いたという。

新開地は戦争によって焼け野原になるものの、いち早く復興し、再び映画館や商店が立ち並んだ。しかしその一方で、地区の半分が米軍によって接収されたり、市役所や新聞社が三宮(現在の神戸の中心地)に移転したり、売春防止法の施行によって福原の遊郭が廃止されるといった事態を受けて、新開地も変化を余儀なくされていった。さらにその後、映画産業や重工業の衰退などで人の流れは激減し、昭和40年代の半ばからは、映画館や劇場も次々と閉鎖され、商店の数も減っていった。そして、地域の風紀は次第に乱れ、新開地はいつのまにか「行ってはいけない街」とまで言われるようになった。


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「なんとかしたい」という地元の人々の思いは、昭和60年代から「まちづくり協議会」となって行政や専門家とともに動き始めた。その活動は、平成7年の阪神・淡路大震災をも乗り越えて町の様子を着実に変えていった。かつて神戸の文化・芸術の中心地であった新開地は、改めてその発信地となるべく、いくつもの取り組みを始めた。「神戸アートビレッジセンター」の開設は、その端緒となるものだった。その後も独自の映画祭や音楽祭を次々と実現し、新開地に染みついていた悪いイメージを払拭し、新たな魅力を引き出す試みが続けられている。

これらの活動を牽引しているのが、平成11年に設立された「新開地まちづくりNPO」である。若いスタッフを主体としたこのNPOは、新開地のイメージを「おっちゃんの街」という言葉で軽やかにまとめた上で、最先端でもおしゃれでもない、けれども時代を経た味のある街として、「B面の神戸」という言葉を掲げて、あえて女性をターゲットに街のファン作りを進めている。


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NPOの方に食堂を紹介してもらうと、いかにも大衆酒場風のお店に案内してくれた。『高田屋京店』と書かれた暖簾をくぐると、夕刻の店内はくつろいだ活気に満ちていた。カウンターの中には特大の赤銅鍋が控えていて、にぎやかな店内の雰囲気とは対照的に、ご主人が物静かに「おでん」を見守っていた。

昭和6年に先代の鈴木京蔵さんが創業した当初、お店は少し離れた宇治川というところにあった。戦後間もない昭和21年に華やかだった新開地に移り、はじめはバラックで営業し、昭和38年に現在の建物に入った。現在は2代目の鈴木一男さんが老舗の味を守っている。


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20種類以上もある「おでん種」の中から、まずはお勧めのものをお願いした。まもなく運ばれてきたのは、タコとスジとロールキャベツだった。タコは食感や味がしっかりとしていて、おでんというよりは、美味しいタコを食べているという感じがした。対して、スジはじっくりと煮込まれていて、ねっとりと肉の旨味が舌にからみつく部分と、プリンとした口当たりが心地いい部分があり、かけられた白味噌ダレとの相性も良く、おでんを食べているという充実感に満たされた。

そして、ロールキャベツはケチャップソースがかかっていて、かじりつくと、キャベツはほどよく煮込まれていて、くるまれている肉の旨味や出汁をすっていながら、クタクタではなくシャキシャキとしていた。同じ鍋の中で、これほど素材にあった煮込み方ができるものかと、とても感心させられた。
 

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この後に注文した、驚くほど大きなじゃがいもや大根も、しっかりと出汁が浸みわたっていながら、素材の味が存分に楽しめた。醤油を使わず、カツオダシと砂糖と塩を少しずつ継ぎ足して守られている出汁は、ひかえめでありながら、どの素材もしっかりと受けとめていた。白味噌ダレも、はんなりとしたクリームのような味で、豆腐、ねぎま、がんもなど色んなおでん種と良くあっていた。

食べ終わるころ、忙しい時間を過ぎて一息入れている女将さんに話を聞くことができた。新開地に人がひしめいていた時代のこと。かつては男性が苦手だったこと。ここ数年は「まちづくり」の取り組みのおかげで、女性客が増えているということ。そして、周囲の状況が変わっても、お店がお客さんで埋まるのは、やはりご主人の努力の賜物なのだということ。

傲ることなく、お客さんを心からもてなすという仕事ぶりは昔から変わらないという。また、ご主人はおでんの扱いは「子育てと一緒」とよく口にするそうだ。出汁につけたり、あげたり。様子を見ながら手をかけることで味が良くなってゆく。その言葉を聞いて、鍋の前に立っているご主人を見ていると、おでんを扱うとてもやさしい手つきや、出汁に触れて艶々としている指先に目がとまった。


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「お父さん以外は、みんな女性」。お店を手伝っている娘さんが、お店で働いている人たちのことを話してくれた。確かに店員は「おばちゃん」ばかり。そして、お客さんとのやりとりや厨房での身のこなしなど、それぞれに個性があり、見ていると楽しく不思議と気持が落ちついてくる。

時折ひびく「おばちゃん」たちの朗らかな声を聞きながら、「おっちゃん」の街が何に支えられているのか分かったような気がして、もうしばらくの間、鍋のおでんを眺めつつ、お店の雰囲気に浸ることにした。
(『翼の王国』2008年1月号112-115頁に掲載)



【後記】
この記事の取材では新開地まちづくりNPOの西島さんにたいへんお世話になりました。新開地まちづくりNPOの取り組みを知ることができたことも大きな収穫でした。話を伺いにNPOの事務所を訪れた際に、パンストで一杯のこの段ボールを見た時のことを良く覚えています。

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センスのいい人たちが地道に取り組めば、街は本当に変わるんだということを教わりました。僕が指折りで行ってみたい映画祭もここで開催されています。まったく新開地はええとこです。



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