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Daisuke Bundo

Daisuke Bundo

分藤大翼
アフリカの熱帯雨林でBaka族の調査研究と記録映画の制作をおこなっています。
長野県松本市在住。

 

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「フォークのさじ」 秋田県男鹿市

『なだらかなまごころ』
秋田県男鹿市〈男鹿〉駅

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 白い袋に入れられて引きずり回された。「この辺の者はみんなそうですね」。御主人の笑顔には怖かった思い出が浮かんで少しシワが寄った。今でも幼いころの経験が生々しく甦るという。「ウォーッ」と低い唸り声がとどろき、ズシッズシッと足音がひびく。大きな面を着け、藁の衣装をまとった男たちが「泣く子はいねが、怠け者はいねがー」と叫びながら現れ、ものすごい勢いで家中を探し回る。大晦日の夜、子どもたちはどこに隠れていても必ず見つかってしまうという。東北地方には広く似通った風習があるものの、秋田県男鹿市のナマハゲほどしっかりと受け継がれているものは稀だという。ナマハゲという呼び名は、囲炉裏のそばに長居する(怠けている)とできる「火だこ(ナモミ)」を「ハギとる」ことから来ているという。

 昼時にてきぱきと仕事をこなす店員さんを見ながら、このお店にはナマハゲは来ないなと思い、またひょっとするとナマハゲのおかげなのかもしれないとも思った。「いらっしゃいませー」という爽やかな声に迎えられ、すっきりと明るい店内に入った時、少しとまどった。昭和46年に男鹿で初めて開店した「スナック喫茶」ということを知って訪れたからだ。御主人に聞くと4年前に改装し、スナックという言葉も「飲み屋」のイメージが強いため数年前から使わないようにしているという。


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 『省吾』という食事処は、男鹿駅の正面の坂を登ったところにある。1968年に改称されるまで、男鹿駅は船川駅と呼ばれていた。船川駅が開設されたのは1916年。船川は男鹿半島の南東部に位置し、山地と岩礁に囲まれた地形から天然の良港として、北前船の航行する時代(江戸~明治)からすでに要所となっていた。その後、港湾として整備され1930年には青森港に次ぐ東北で二番目の貿易港となり、1939年には製油所が設立されるなど開発が進んだ。戦後も製油所を中心として好景気が続き、『省吾』のある界隈は歓楽街としてにぎわっていた。
 先代の竹谷省吾さんは満州で裕福な幼少期を過ごし、終戦とともに両親に連れられて男鹿に移り住んだ。15歳の時、開拓事業をしていた父が亡くなり、省吾さんは苦労の末にバーテンダーとして働くことになった。勤めたお店は、まだ多くの人が日本酒を飲んでいた時代に、ウィスキーやカクテルを出していた。「いろいろあったけど楽しい時代だった」と当時を振り返って息子さんに話したことがあったという。
 その息子さんが現在の御主人である。先代が1971年に開店した『省吾』は、自宅と続いていたため、朝から晩まで働く父親の姿を見て育ったという。地元の高校を卒業し大学に進学するものの学生生活に疑問を抱き、「世間を見に行かせて欲しい」と両親に頼んで静岡に働きに出る。当時はまだお店を継ぐ気はなかったという。その頃、船川港では大規模な石油備蓄基地の建設が始まっており、作業にかかわる大勢の人々が移り住んで、お店の界隈は活気づいていた。『省吾』も忙しさを増し、御主人は結局2年で帰ってくるように頼まれ店に入ることになった。その後、建設工事は1995年に終わり、関係者はしだいに船川から去っていった。


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 一段落ついたところで、そろそろ後のことは任せて、やりたいことをやればいいと話していた矢先、先代は他界してしまう。人に対する気配りがとても細やかな人だったという。「自分はどういうところが幸せなのかなと考えると、父親を尊敬できるということが、幸せなんだなあと感じますね」と御主人は話してくれた。働き続ける父の姿を見て、後を継ぐのを敬遠していた御主人は、やはり父の働く姿を前に、後を継ぐことを受け入れていった。
 先代のお客さんへの気配りは、内装を変えないことにも表れていた。昔はお見合いや結婚式を、二階にあったビリヤード場で開くこともあり、それをきっかけに一緒になった夫婦が、久しぶりに来たときに「同じだ」と懐かしんでもらえるのが喜びだったという。先代が亡くなった後も、しばらくそのままにしていたものの、最近のお客さんにはテーブルが低すぎると思えたり、白と黒が基調の店内は夜の雰囲気が強すぎるように思えたり、御主人は迷った末に改装を決意したという。ただし、バーカウンターはそのままに。昔も今も『省吾』の御主人は気配りの人なのだ。


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 メニューもお客さんの注文に応じているうちに増えたという。定食、丼物、麺類の豊富なメニューの中でも『省吾』らしいと思える一品が『チャンカレー』だ。チャーハンにカレーをのせてくれというお客さんがいて、そうしてあげたのが始まりだという。妙に素晴らしいのは、『チャンカレー』のための工夫がなにもなされていないところである。本当に単品のチャーハンにカレーをのせただけ。しかも、それぞれはクセのない素直な味付けで、その肩肘を張らないサービスと味が『チャンカレー』の味わいになっている。「けっこうおいしい」というのは実に幸せなことだと改めて思った。秋田のラーメン百選に選ばれている『ラーメン』についても、それほどこだわっているわけでないと御主人は首をかしげる。これも「けっこうおいしい」に違いない。『省吾』の味は3代目になる娘さん夫婦にも受け継がれているという。


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 主に地元の人が来る店なのでメニューに郷土料理はない。けれども御主人は商工会のメンバーとして、男鹿の魅力を高めようと仲間と新たな取り組みを始めている。勉強が必要ということで、北前船でゆかりのある上方に出向き、大阪、京都でいろんな人から多くのことを教わっているという。そして、まずは男鹿の人々に上方の文化を楽しんでもらおうと、昨年から舞妓さんや有名な噺家を招いて芸を披露してもらっている。興味深いことは、観光客のためというよりは地元の人のために、これらのイベントを企画しているということだ。「自分たちが男鹿を良いところにできたら、地元の人が良くなったから来てと、よその人に言ってくれる。それが一番の宣伝になるはず」と御主人は語った。実際に、なかなか生で見る機会がない芸能に、地元の人も喜んでくれているという。


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 夕暮れ時、お店を後にして男鹿半島の北側にある温泉郷に向かった。海岸沿いを北上するルートから見た風景は、伝説の島にふさわしく、とても神々しいものだった。また、温泉郷で聞くことのできた太鼓や三味線、そしてなによりも秋田の言葉が心地良かった。男鹿を何度も旅し、多くの書物を残した江戸後期の紀行家、菅江真澄も、書き留めることのできない数々の魅力に惹かれていたに違いない。僕も書ききれない中から一つだけ挙げるとすると、男鹿真山伝承館で体験したナマハゲの実演は本当に怖かった。
(『翼の王国』2007年9月号112-115頁に掲載)


【後記】
その後「省吾」さんは、地産地消をむねに男鹿ならではのメニューを発案されています。詳細はホームページを御覧下さい。「お食事 省吾



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