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Daisuke Bundo

Daisuke Bundo

分藤大翼
アフリカの熱帯雨林でBaka族の調査研究と記録映画の制作をおこなっています。
長野県松本市在住。

 

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マレーシア



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備忘録(食べ物)



ついつぶやいた、ここ数年の食べ物について。おおざっぱな備忘録として。

(思わずつぶやいてしまったこと、思うところあってつぶやかなかったこと多数)



2010年05月19日(水)
うん、これは、なかなか。老舗の味「天守石垣サブレ」。


2010年05月26日(水)
生協でばら売りされている信州大学饅頭。お茶菓子に困った時には重宝します。老舗の味。


2010年09月16日(木)
鮭の塩焼きも、茄子の味噌炒めも、南瓜の煮物も、味噌汁も美味しかった。日替わり定食550円。「ハルピン食堂」は、ちゃんと「ごちそうさま」と言いたくなる食堂です。


2010年10月06日(水)
炭火でジワッと焼かれた身のはじっこの風味に唸る。鰻が食べたくなったら「まつか」にゆけば良いということが判明して、晴れ晴れとした気分。


2010年10月12日(火)
ワインとチーズって合うなあ、とつくづく思う。「ジュレ・ブランシュ


2011年11月05日(土)
盲点!「はなぐるま」のキャラメル・シフォンケーキは美味しい。松本に於けるシフォンケーキ問題は解決に向かう見込み。


2011年11月15日(火)
この時期に「かね運」の大判焼きがおいしいことを知ったのはたいへんにまずい。


2012年03月18日(日)
RISTORANTE ITALIANO ZUCCA」を、ブラリと再訪したい松本駅界隈のお店として登録しました。



備忘録(映画)


ついつぶやいた、ここ数年の映画について。おおざっぱな備忘録として。

(思わずつぶやいてしまった作品、思うところあってつぶやかなかった作品多数)



2010年08月10日(火)
アフリカに追いつくために、なんとかこれには駆けつけよう。 《ベンダ・ビリリ


2010年09月11日(土)
松本CINEMAセレクトで『ウィンター・ソルジャ-』『ハーツ・アンド・マインズ』と『バード★シット』を見る。こんな映画をまだ見なければならないということに暗い気持ちになり、こんな映画がまだ見られるということに明るい気持ちになる。まだまだ、そういう時代だということだろう。9.11


2010年09月21日(火)
行くも行かないも予告編を見てからでどうでしょう。 『ペルシャ猫を誰も知らない


2010年11月16日(火)
その必要がないとしても、徹夜で並びたいくらいの気分です。11月17日(水) 19:30~ まつもと市民芸術館 小ホール 『シルビアのいる街で

2010年11月18日(木)
あの人と別れた後、第二夜の終わりまで音声が奇妙だったけど、あれはもともとあのような音声なのだろうか。画面の上の方に染みがついているところやマイクが映っているところもあった。カメラの位置が低いことが気になったところもあった。すごく気になる映画だった。あれこれ、もういちど見てみたい。


2011年02月11日(金)
海炭市叙景』を観た。雪の帰り道、「どうすればあんなシーンが撮れるのだろう」と思いながら歩いた松本の街は、ふだんより美しく感じられた。


2011年04月23日(土)
あっちとこっちがあれほど見事に一つになるのはなぜなのか?何度テイクを重ねれば撮れるのか、テイクを重ねれば撮れるのか?恋愛にかんする映画であるとともに恋愛としての映画を目の当たりにして、深く心をゆりうごかされた。『トスカーナの贋作


2011年05月11日(水)
裁かるゝジャンヌ』がフィルム上映される。これはもう恩寵のたぐいであって、観ないというのは罰当たりのたぐいだと思います。5月14日19:30~Mウイング6階ホール


2011年05月14日(土)
一番驚いたのは火刑に処せられるジャンヌが後ろ手に縛られる場面で、ジャンヌの左腕にかけられた縄が下に落ち、それをジャンヌが拾い上げるシーンだった。偶然なのか演出なのか、異様に生々しかった。やっぱりすごい映画だった。『裁かるゝジャンヌ』


2011年05月21日(土)
爆音映画祭。本日発売の整理番号付きプレミアムチケットを勇んで購入したら、整理番号3番だった。『セーラー服と機関銃』


2011年05月31日(火)
映画の六月が始まる。日々の編集作業に加えて、第一弾は4日の『ブンミおじさんの森』を必ず見に行く。


2011年06月24日(金)
悲しみのミルク』見事な出来映え。移動する対象をとらえるNatasha Braier のセンスがすごかった。


2011年06月29日(水)
本日!!! 「ミツバチの羽音と地球の回転」上映会in松本 【会場】信州大学松本キャンパス全学教育機構講義室12番教室  【時間】 開場18:00/上映18:20 【主催】 「ミツバチの羽音と地球の回転」信州大学上映会実行委員会


2011年10月21日(金)
エッセンシャル・キリング』を観た。メチャクチャおかしかった。気の毒な食いしん坊のドタバタ劇。撮影現場は笑いに包まれていたのではないか、監督は観客の笑いのセンスを問うているのではないかと思えてならない。また観る機会があれば鼻からミルクが出るくらい笑い転げながら観たい。

つまるところ僕の疑問は、スコリモフスキは天然ボケなのかボケ名人なのか? どっちなのか、どれくらいどっちなのか、ということです。どっちでもいいくらい彼の作品は面白いと思っているのですが。


11年11月01日(火)
6日に松本で上映される『終わりなき叫び』は、カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞した作品として紹介されているが、もっとスゴイことは、アフリカ最大の映画祭FESPACOで準グランプリを獲得しているアフリカ映画だということだ。


2011年11月06日(日)
松本にお住まいの方で、今日なにか良くないことがあった方は、午前中にこちらのアフリカ映画を観なかったためだと思っていただいて間違いありません。>『終わりなき叫び』>傑作でした。


2011年11月09日(水)
サウダーヂ』を見たら『海炭市叙景』をもう一度見たくなった。見たら、『サウダーヂ』をもう一度見たくなるかもしれない。ならないかもしれない。


あらっぽく言うと、ダメオヤジによる、何を今さらな作品。>>『パレルモ・シューティング


寝たり覚めたり、出たり入ったりしながら見た。見たかぎりは見事な作品だった。カメラ・ポジションがとても良かった。>>ワン・ビン『原油 1部


2011年11月28日(月)
先日観た『ジョン・レノン, ニューヨーク』はとてもいいラブ・ストーリーだった。いつになく観客の多い会場で観ることができて幸せだった。


2012年02月16日(木)
やつれ果ててゆく世界を、あれほどまでに豊かに描き切った映画を他に知らない。着衣と脱衣、そして食事。至上のアクション映画の一本として記憶したい。>>『ニーチェの馬


ジョナス・メカスの最新作《スリープレス・ナイツ・ストーリーズ 眠れぬ夜の物語》。寝ても覚めてもよかった。ジョナス・メカスは何をやってもよい。どうやっても彼の映画になるのだから。すごいことだ。よい人だ。ワインが飲みたい。


2012年02月10日(金)
撮影が近藤龍人さんということですので、『トーキョードリフター』見にゆきます。【松本CINEMAセレクト】2月11日(土)特集上映「2.11に〈3.11〉を考える」(まつもと市民芸術館小ホール)


2012年03月01日(木)
あわてて注文 >>「追悼 テオ・アンゲロプロス」 黒沢清氏インタビュー (聞き手=伊藤洋司) 週刊読書人 2012年2月24日号


モンテ・ヘルマン監督の『果てなき路』は「やっぱり、映画って、すごい」と思わせてくれる傑作だった。映画監督になりたいような、なりたくないような気持ちになった。血の量が絶妙で、劇映画の気高さに感じ入った。


2012年03月09日(金)
シネフィルは死なず。 目新しくも、古めかしい、ド根性映画。 陽子が妊娠しているのか気になる。>>『CUT


2012年03月12日(月)
興味深くはあれ、やや気の毒な感じ。作品に対して、監督に対して。>>『世界最古の洞窟壁画 3D 忘れられた夢の記憶』 ヴェルナー・ヘルツォーク監督


素晴らしかった。最初から最後まで良かった。生きている人は動く。動かなくなった人も、人を生かす。>> 『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』 ヴィム・ヴェンダース監督


2012年03月18日(日)
シャッターアイランド』は良かった、と思うんだけど・・・。>>マーティン・スコセッシ監督『Hugo』


2012年03月29日(木)
嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』を観て瀬田なつき監督のファンになったのだけど、それは同時に撮影の月永雄太さんのファンになったということでもあるのかどうか、確かめてみなければならない。やはり『NINIFUNI』に行くか。


2012年03月31日(土)
ボリス・バルネットの『帽子箱を持った少女』を観て、サイレント映画に学ぶ必要があることを再確認した。



jo joko (3)


【映像作品『jo joko』の制作メモ】

図録の紹介文の末尾に「アクション映画である」と書いた件について、
続き

jo joko』を編集している間、パソコンの画面を前に「ちゃうなー、ちゃうなー」と何度もつぶやいていました。「ちゃうなー」は大阪弁で、「ちがうなー」という意味です。

何と違うのか。

あと、「どうやってんの、全然わからへん」ともつぶやいていました。

分からないこととは何か。

編集の過程で繰り返し見ていた作品があります。

一つは、トニー・スコット監督の『サブウェイ123 激突

もう一つは、マイケル・マン監督の『コラテラル』です。

いずれの作品も冒頭の6分間がたいへんに見事で、繰り返し繰り返し
見ました。

いつからか『jo joko』は、これらの作品のようにしたいと思うように
なりました。

そのようなわけで、「ちゃうなー」とか「どうやってんの?」としきりにつぶやくことになりました。そして、何も分からないまま、似ても似つかぬ作品になりました。

ちなみに、『サブウェイ123』からは映像の速度のコントロールを、『コラテラル』からは一つの場面(タクシー運転手の仕事ぶりが描かれる場面)の構成を学ぼうとしました。

そういえば、両作を見ながら何度か口をついて出た言葉は「空撮かー」
でした。(空からの撮影です。僕にはできません。)

トニー・スコットやマイケル・マンのようにできないのは当然ですが、この二人に学ぼうとしたことは、なにがしかの良い影響を『jo joko』にもたらしていると思います。学び損ねているとしても、人類学者としてトニー・スコットやマイケル・マンに学びながら、映画を作っている人は、そうはいないと思います。その点で多少なりとも珍しい作品にはなったと思います。

僕以外の誰かが、例えばトニー・スコットやマイケル・マンがBaka族を描いたら、どんなに面白い作品ができることか。僕が作るから、その程度の作品としてしかBaka族のことが紹介できない。優れた作家がBaka族を対象とした映画を作らないので、自分が少しずつでも腕を磨いて作るほかないということ。これは本当に、いつも気にしていることです。



jo joko (2)


【映像作品『jo joko』の制作メモ】

図録の紹介文の末尾に「アクション映画である」と書いた件について


jo joko』をアクション映画にしたいと思うようになったのは、たぶん数年前のこと。以来、アクション映画を意識的に観てきた。

とはいえ、レンタルショップの「アクション」の棚に並んでいる作品を積極的に観てきたわけではない。今に至って「アクション映画」とは何かと問われて、うまく答えられるわけでもない。

jo joko』がなぜアクション映画なのかと問われたら、後ずさりしながら「食事にまつわる行為」を描いた作品ということです、と答えておくのが無難かもしれない。

けれども、編集の過程でアクション映画を目指したことと、やはり映画とはアクションであると思ったことは確かである。

思えば「映画とはアクションである」という映画観は、映画の制作を志した10年前から変わっていない。

例えば、当時からずっとお気に入りの作品としてジャン=リュック・ゴダール監督の『右側に気をつけろ』を挙げることができる。

この作品にはゴダール本人が扮する公爵と呼ばれ、白痴とも呼ばれる男が登場する。

その冒頭に次のようなシーンがある。


マッ黄ッ黄のフェラーリ。閉じたドア、開いたマド。

うなるエンジン音。

飛び込むゴダール。車外から、頭から。

グレーのハーフコートに中折れ帽をかぶった長身のゴダールがスルリと車内に消える。


自身の体を助手席に投げ入れる様はあまりにもバカバカしくかっこいい。

(ちなみに、この時ゴダールは50代半ば。このシーンを見てからというもの、僕にとってゴダールはあこがれの人となっている。やはり運動神経が良くないとダメなのだ。)


これが僕にとって最高のアクション映画の一場面である。


もう一本となればロバート・フラハティ監督の『極北のナヌーク』(1922年)を挙げなければならない。

『極北のナヌーク』はカナダ北部の雪と氷の世界に暮らしているイヌイットの生活を描いた作品である。この映画史上の傑作は、アザラシやセイウチを狩る迫力あるシーンで知られている。

けれども僕が至上のアクションシーンとしてしばしば思い返すのは、イヌイットの男性であるナヌークさんが氷の上を歩いている、ただそれだけのシーンである。ひしめく氷の間には、ところどころ冷たそうな海面が露出している。そこをナヌークさんはこともなげに渡り歩く。

このシーン(音は消して 6:20~)がすごいのは、イヌイットでなければ海に落ちてしまうであろうということ、そして、おそらくはロバート・フラハティ自身が海に落ちた、少なくとも落ちかけた経験があるのではないかと思わせるところである。つまりフラハティは現地で長く暮らした経験から、イヌイットのなにが優れて彼ららしい行為なのか分かった上で撮っているということである。


いわゆる「アクション映画」のように、車が猛スピードで走り回り転げ回ることはない。むしろ車は人の前にとどまっている。

銃のかわりに登場する槍も、何かを倒すものではなく人を支えるものとして描かれている。

やはり人なのだ。人は人に、人の振る舞いに魅了される。だから人は人と生きてゆける。

僕にとってのアクション映画とは、そんな基本的なことを何度でも教えてくれる映画である。


なによりも、ゴダールもフラハティも体を張って映画を作っている。僕はその姿勢に作り手として共感しているのかもしれない。けれども、映画には必ず撮る側と撮られる側のアクションが映るのだから、ごく普通に見て、感心しているということなのだと思う。

果たして『jo joko』は優れたアクション映画、とまではいかなくとも魅力的なアクションが見られる映画になっているだろうか。



祭りの後 (1)


26日。15日間にわたって開催された恵比寿映像祭が終わりました。





自作が上映された18日、23日とそれぞれの翌日。加えてジョナス・メカスの最新作を目当てに14、15日のプログラムも鑑賞したので、計6日間、映像祭に通いました。展示作品もゆっくりと見ることができたので、いろいろと刺激になりました。

あれこれについてどうこう言えなくはありませんが、自分にとっては、とにかく見たということが大事で、いわく言い難い無数の視聴覚体験が、感覚の細部に宿ったような感じがしています。

僕は自分の感覚だけを頼りに、一人で撮影、録音、編集をおこなうため、このような感覚をはぐくむ機会がとても大切です。

どのような映像や音響であれば、見ていられるのか聞いていられるのか、見ていたい聞いていたいと感じられるのか、もっと見たい聞きたいと思えるのか、これらのことを精査するような鑑賞の仕方をしています。ちなみに平気で寝たり、席を立ったりもします。それもまた有用な体験です。気持ちよく眠れる作品とはどのようなものか、退屈で寝てしまう作品とは、見ていられない、聞いていられない作品とは、ということを知ることができるからです。

自分の作品を人に見てもらった時に決まって訊いてしまうのが「見ていられましたか?」ということです。視聴していられる作品になっているかどうか、それがまずは超えなければならない水準であり、それは自分では計り難いからです。

さて、自作の上映について。

jo jokoが完成したのは2月5日。それは作品発送の期限の日のことでした。そして、自作について考える間もなく18日の上映を迎えました。

上映前は、すごく緊張しました。編集の過程で細部も全体も何十回と見ていたわけですが、大きなスクリーン、大きな音で鑑賞するのは初めてのこと。そして、それは小さなモニターで見るのとは体験の質が大きく異なるため、どのように見えるのか聞こえるのか全く見当がつかず、まずは自分が視聴していられないような作品になっていたらどうしようという不安感にさいなまれていました。そして、想像を何倍も上回る数の観客の方々を前に、たいへんなことになってしまったという思いでいました。

上映後の感想は、まずは大きなスクリーンで大きな音で視聴できて嬉しかったということ、そして作品としては「何とか視聴できるかな」という感じでした。映像はいくつかしっくりこないところがあり、修正しきれていない音が耳につくところもありました。けれども、「これは映画になっている!」と言いたくなるシーンがいくつかあったというのも偽らざるところでした。やはり撮影をおこなっている集落の人々は魅力的だし、その魅力を伝える技量を自分が持ち始めていることを確信しました。次回作を作る意欲を高めることができたというのは最良の成果の一つだと思っています。

上映によって得られた成果は、一つや二つでは済まないわけですが、長くなるので「続く」ということで。



jo joko (1)


【映像作品『jo joko』の制作メモ】

私がBakaの人たちに魅せられるのは、彼・彼女たちの「食べ方」を「正しい」と感じるからだと思う。

そして、彼・彼女たちに学びながら、自分も「正しく食べなければならない」という思いを強くしている。


jo joko』という作品で、Bakaの人たちの《食》を描いた背景には、ジャック・デリダという哲学者の言葉がある。

道徳的な問いは、食べなければならないのは、あるいは食べてはならないのはこれであってあれではない、生物か非生物か、人間か動物かということではない。かつて一度たりとそうであったことはない。そうではなく、いずれにせよとにかく食べねばならない〔il faut bien manger〕以上、そしてそれが〈正しい=快適な〉〔bien〕ことであり、〈よい=適切な=美味しい〉〔bon〕ことであり、〈善〉〔le bien〕にはこれ以外の定義はない以上、問題は、いかに正しく(善く=適切に=快適に=美味しく)食べるべきか〔Comment faut-il bien manger〕ということになる。

単に〈私〉にとってだけ栄養豊かであってはならない。一人の〈私〉にとってだけそうであるなら、そのとき〈私〉は間違った食べ方をしていることになる。

「正しく食べなければならない」が第一に意味することは、自己のうちに〈取ること〉、自己のうちに〈包摂=理解すること〉ではなく、〈学ぶこと〉、食物を〈与えること〉、〈他者に食物を与えることを学ぶこと〉なのだ。けっして自分だけで食べないこと、これが「正しく食べなければならない」の規則だ。それは無限の歓待の掟だ。そしてあらゆる差異、決裂、戦争(宗教戦争と言ってもいい)に賭けられているのは、この「正しく食べる」ことなのだ。

ジャック・デリダ「「正しく食べなければならない」あるいは主体の計算ジャン=リュック・ナンシーとの対話」,ジャン=リュック・ナンシー編『主体の後に誰が来るのか?』,現代企画室,1996年,177頁。


これらの言葉は「正しい」と思う。哲学的にどうかは分からないけれど、Bakaの人たちはそのように食べている=生きているし、その食べ方=生き方は少しずつ「間違った」方に進みつつあることを目の当たりにしているから。

jo joko』というタイトルの、jo(ジョ)はBaka語で「食べ物」、joko(ジョコ)はなんであれ「良い」ことを意味する。このjokoという言葉には、善い=適切な=快適な=美味しい、つまり「正しい」という意味が含まれている。だから、『jo joko』というBaka語のタイトルは、強いて訳せば『正しい食事』となる。『よい食事』というタイトルは候補ではあったけれど、やはり『jo joko』とした。


「正しく食べられる」社会を作る一助になれば、という思いを込めて。



7日



風邪気味ながらも


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朝から届いた、こんなものや


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あんなものやで


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晴れ晴れとした気持ちで


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凍てついた川のそばを歩いて


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研究室に向かい


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遅くまで編集作業にいそしんだ


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幸福な一日。


霞ヶ関


ちょっと見に行ってみようと思いました。

経済産業省

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建物の下には、「福島の女たち」の意志を引き継いだ「全国の女たち」。

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原子力発電所のない社会に暮らしたいという思い。

人を傷つけない暮らしを望む気持ち。

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いろいろなことが信じられなくなっていますが、

子どもを守りたいという親の気持ち、

大切な人を守りたいという気持ちは、信じることができます。


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もう少しましな国に暮らしていると思っていました。

でも、間違っていました。

今は、その責任を感じています。

これ以上ひどくならないように、自分にもできることをしながら生きてゆきたいと思います。



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ビーズ


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アイロンビーズ


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パイプ状のビーズを専用のプレートの上にのせてゆきます。


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アイロンをあててくっつけると風合いが変わってしまうのですが、


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でもまあ、好みの色を並べていく過程は、まんざらでもありません。


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対象年齢:5歳以上。

日課にならないように気をつけたいところ。



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